シーズン全記録 / Season Archives
主要シーズンの詳細、順位、タイトル、そして物語。
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| Season | Manager | Best Player / Scorer | Transfers | Liga | UCL / European Cup |
|---|---|---|---|---|---|
| 2025-26 | (Current) |
IN:
OUT:
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1位 (Current) | 進行中 (Ongoing) | |
| レバークーゼンで伝説を作ったシャビ・アロンソが満を持して監督に就任。デイヴィスの獲得は叶わなかったが、左SBに新鋭カレーラス、中盤にアルゼンチンの至宝マスタントゥオーノを補強。アーノルドと共に革新的な戦術「アロンソ・ボール」を導入し、王権奪還を目指す。 | |||||
| 2024-25 | (38) |
IN:
OUT:
(引退)
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2位 (2nd) | Best 8 | |
| エムバペ加入で「新銀河系」と期待されたが、攻守のバランスに苦しんだシーズン。スーペルコパ決勝ではバルセロナに大敗を喫し、リーガも宿敵の後塵を拝す結果に。CLでは準々決勝でアーセナルに敗れ、無冠(主要タイトルなし)という厳しい結末となった。 | |||||
| 2023-24 | (23) |
IN:
(Loan)
(Loan)
OUT:
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優勝 (1st) | 優勝 (Winner) | |
| 絶対的エースであるベンゼマ退団の不安を、新加入ジュード・ベリンガムが衝撃的な活躍で一掃。ヴィニシウスと共に強力な攻撃陣を形成し、リーガを独走。CLではマンチェスター・シティとの死闘をPK戦の末に制し、決勝ではドルトムントを下して前人未到の15冠(ラ・デシモキンタ)を達成した。クロースのラストシーズンを最高の結果で飾った。 | |||||
| 2022-23 | (31) |
IN:
OUT:
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2位 | Best 4 | |
| 長年の中盤の要、カゼミーロがユナイテッドへ移籍。チームは国王杯を制覇し、クラブW杯も優勝したが、リーガとCLではシティなどの後塵を拝した。カリム・ベンゼマがシーズン終了後に電撃退団を発表し、一つの時代が終わりを告げた。 | |||||
| 2021-22 | (44) |
IN:
OUT:
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優勝 (1st) | 優勝 (Winner) | |
| アンチェロッティの復帰。S・ラモスとヴァランという長年のCBコンビが退団したが、アラバとミリトンが穴を埋めた。CLではパリ、チェルシー、シティに対し、ベルナベウで神がかった逆転劇を連発。「ベルナベウの魔法」が世界中を震撼させ、14度目のビッグイヤーを獲得。ベンゼマがバロンドール級の活躍。 | |||||
| 2020-21 | (30) |
IN:
(復)
OUT:
(Loan)
(Loan)
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2位 | Best 4 | |
| パンデミックの影響で補強ゼロという異例のシーズン。怪我人が続出する中、ジダン監督の手腕で最後まで優勝を争ったが、アトレティコに一歩及ばず無冠に終わった。シーズン終了後、ジダンは2度目の辞任を表明。 | |||||
| 2019-20 | (27) |
IN:
OUT:
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優勝 (1st) | Best 16 | |
| 3億ユーロを超える大型補強を敢行。期待のエデン・アザールは怪我に苦しんだが、クルトワを中心とした鉄壁の守備(サモラ賞獲得)を武器に、新型コロナによる中断明けに怒涛の10連勝で3年ぶりにリーガ王座を奪還。スペイン・スーパーカップも制覇した。 | |||||
| 2018-19 | / / | (30) |
IN:
OUT:
(Loan)
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3位 | Best 16 |
| 史上最多得点者クリスティアーノ・ロナウドの退団による得点力不足が深刻化。ロペテギ、ソラーリと監督が交代するも迷走は続き、CLではアヤックスにホームで大敗。3月にジダンが電撃復帰し、再建を託された悪夢のようなシーズン。 | |||||
| 2017-18 | (44) |
IN:
OUT:
(Loan)
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3位 | 優勝 (Winner) | |
| 国内リーグでは不振に喘いだが、CLではPSG、ユヴェントス、バイエルンという各国の王者を次々と撃破。キエフでの決勝でリヴァプールを下し、前人未到のチャンピオンズリーグ3連覇を達成。ベイルのオーバーヘッド弾は語り草に。 | |||||
| 2016-17 | (42) |
IN:
(復)
OUT:
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優勝 (1st) | 優勝 (Winner) | |
| ジダン体制2年目。「Aチーム」「Bチーム」と呼ばれた厚い選手層をローテーションし、史上初のCL連覇と59年ぶりのリーガ・CL二冠(ドブレテ)を達成。カーディフでの決勝ではユヴェントスを4-1で粉砕。クラブ史上最強チームの一つと称される。 | |||||
| 2015-16 | / | (51) |
IN:
(復)
OUT:
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2位 | 優勝 (Winner) |
| ベニテス監督の下でチームは空中分解寸前となったが、1月にレジェンド、ジダンがBチームから昇格し監督に就任すると劇的に復調。クラシコでの勝利で勢いに乗り、CL決勝ではPK戦の末にアトレティコを破りウンデシマ(11冠)を達成。 | |||||
| 2014-15 | (61) |
IN:
(Loan)
OUT:
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2位 | Best 4 | |
| W杯得点王ハメスらを加えたチームは、秋に公式戦22連勝というスペイン記録を樹立し「無敵」と思われた。しかし年明けから怪我人が続出し失速。CL、リーガ共にあと一歩及ばず無冠。モドリッチの長期離脱が響いた。 | |||||
| 2013-14 | (51) |
IN:
OUT:
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3位 | 優勝 (Winner) | |
| 1億ユーロでギャレス・ベイルを獲得し、C・ロナウド、ベンゼマと共に最強の3トップ「BBC」を結成。国王杯ではベイルの衝撃的な独走ゴールでバルサを撃破。CL決勝ではラモスの劇的な同点弾から延長戦を制し、12年越しの悲願「ラ・デシマ(10冠)」を達成した。 | |||||
| 2012-13 | (55) |
IN:
(Loan)
OUT:
|
2位 | Best 4 | |
| モウリーニョ体制3年目。カシージャスやラモスとの確執、ロッカールーム内の不協和音が表面化。国王杯決勝でアトレティコに敗れ、CLでもドルトムントに完敗。モウリーニョは「キャリア最悪のシーズン」という言葉を残して去った。モドリッチ加入が唯一の光。 | |||||
| 2011-12 | (60) |
IN:
(昇格)
OUT:
(Loan)
|
優勝 (1st) | Best 4 | |
| ペップ・バルサの支配を終わらせるべく、驚異的なペースで勝ち点を積み上げた。勝ち点100、総得点121というリーガ新記録を樹立しての優勝は圧巻。カンプ・ノウでの直接対決でC・ロナウドが決めた決勝点と'Calma'パフォーマンスは象徴的なシーンとなった。 | |||||
| 2010-11 | (53) |
IN:
(昇格)
OUT:
|
2位 | Best 4 | |
| 「スペシャル・ワン」ジョゼ・モウリーニョを招聘。南アフリカW杯で活躍したエジル、ケディラらを補強し、銀河系軍団の再構築を図った。国王杯決勝ではC・ロナウドが高い打点のヘディングを決め、グアルディオラ率いるバルセロナを破り優勝。ラウールとグティが去った象徴的な年。 | |||||
| 2009-10 | (33) |
IN:
OUT:
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2位 | Best 16 | |
| ペレス会長が復帰し、第2次銀河系軍団プロジェクトが始動。C・ロナウド、カカ、ベンゼマ、X・アロンソを同時獲得する前代未聞の大型補強。リーグ戦では当時のクラブ記録となる勝ち点96を稼ぐも、バルサに及ばず2位。国王杯では3部アルコルコンに0-4で敗れる「アルコルコナッソ」の屈辱を味わい、CLでもリヨンに敗れ無冠に終わった。 | |||||
| 2008-09 | / | (22) |
IN:
OUT:
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2位 | Best 16 |
| シュスター解任後、フアンデ・ラモスが就任し、一時は怒涛の連勝でバルサを猛追。しかし、ベルナベウでのクラシコで2-6という歴史的敗北を喫し、タイトルの夢は潰えた。会長カルデロンの辞任、ボルーダの「チョレオ」発言など、ピッチ外でも喧騒の絶えないシーズンだった。 | |||||
| 2007-08 | (18) |
IN:
OUT:
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優勝 (1st) | Best 16 | |
| カペッロの堅実なチームを引き継いだシュスターが、より攻撃的なスタイルでリーガを独走。宿敵バルセロナとのベルナベウでのクラシコでは、優勝を決めた後だったため屈辱の「パシージョ(花道)」を作らせ、試合も4-1で完勝。記憶に残るシーズンとなった。 | |||||
| 2006-07 | (33) |
IN:
OUT:
(引退)
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優勝 (1st) | Best 16 | |
| 「優勝請負人」カペッロが再登板。規律を重視し、ベッカムらを冷遇する場面もあったが、終盤戦に驚異的な粘りを発揮。「タムードッソ」など奇跡的な展開でバルサと同勝ち点に並び、直接対決の成績で上回り優勝。ベッカムは有終の美を飾ってLAギャラクシーへ。 | |||||
| 2005-06 | ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ / フアン・ラモン・ロペス・カロ | (15) |
IN:
OUT:
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2位 | Best 16 |
| 第一次銀河系軍団の終焉。ルシェンブルゴの「マジック・ボックス」戦術は機能せず解任。ロペス・カロが引き継ぐもバルサに独走を許し、ペレス会長が辞任する事態に。ジダンがこのシーズン限りで引退を表明し、一つの時代が終わった。 | |||||
| 2004-05 | カマーチョ / / ルシェンブルゴ | (24) |
IN:
OUT:
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2位 | Best 16 |
| 監督が次々と代わる迷走のシーズン。サムエル、オーウェンらを補強して守備と攻撃のバランス改善を図るも、安定感を欠いた。CLではユベントスに延長戦の末敗退。3シーズン連続の無冠に終わった。 | |||||
| 2003-04 | (31) |
IN:
OUT:
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4位 | Best 8 | |
| ベッカムが加入し「銀河系」の人気は頂点に達したが、マケレレ放出の影響で守備が崩壊。シーズン終盤に歴史的な失速を見せ、リーガ5連敗で4位転落。コパ決勝でもサラゴサに敗れ、スーペルコパ以外の主要タイトルを逃した。 | |||||
| 2002-03 | (30) |
IN:
OUT:
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優勝 (1st) | Best 4 | |
| 日韓W杯得点王の「怪物」ロナウドが加入。フィーゴ、ジダン、ラウール、ロナウドによる夢のカルテットが実現。最終節までもつれ込んだ優勝争いを制しリーガ優勝。しかし、シーズン終了直後にデル・ボスケ監督とイエロ主将の契約非更新が発表され、衝撃が走った。 | |||||
| 2001-02 | (29) |
IN:
OUT:
マノロ・サンチス(引退)
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3位 | 優勝 (Winner) | |
| クラブ創設100周年。当時の世界最高額でジネディーヌ・ジダンを獲得。国王杯決勝(センテナリオ)で敗れる失態はあったが、CL決勝ではジダンがサッカー史に残るボレーシュートを叩き込み、9度目の欧州制覇(ラ・ノベナ)を達成した。またこれこそが、ペレス会長が掲げた『ジダネス・パボネス』政策の象徴的なシーズン。ジダンら世界的なスター選手(ジダネス)と、パボンらカンテラ出身の若手選手(パボネス)を融合させるこの方針は、商業的な成功とアイデンティティの保持の両立を目指した野心的な試みだった。しかし、チームのバランス維持には課題も残した。 | |||||
| 2000-01 | (32) |
IN:
エトール(昇格)
OUT:
|
優勝 (1st) | Best 4 | |
| ペレス会長が就任し、宿敵バルセロナの主将フィーゴを禁断の移籍で獲得。銀河系政策の第一歩となった。CL連覇は逃したが、圧倒的な攻撃力で4シーズンぶりにリーガ・エスパニョーラを制覇。ラウールが得点王に輝いた。 | |||||
| 1999-00 | / | (29) |
IN:
(昇格)
OUT:
ミヤトビッチ
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5位 | 優勝 (Winner) |
| リーグ戦では不振を極め5位に低迷するも、シーズン途中で就任したデル・ボスケがチームを立て直す。CLではレッドンドのオールド・トラッフォードでのヒールパスなど名シーンを生み出し、決勝でバレンシアを3-0で粉砕。8度目の欧州制覇。 | |||||
| 1998-99 | フース・ヒディンク / | (29) |
IN:
OUT:
|
2位 | Best 8 |
| CL王者として臨んだトヨタカップ(インターコンチネンタル杯)でバスコ・ダ・ガマを下し世界一に。ラウールの「アグアル・ゴール」が有名。しかしリーグではバルサに及ばず2位、ヒディンクもシーズン途中で解任された。 | |||||
| 1997-98 | (16) |
IN:
OUT:
|
4位 | 優勝 (Winner) | |
| リーグ戦では4位と苦しんだが、CLでは快進撃を見せる。アムステルダム・アレナでの決勝、ユベントス相手にミヤトビッチが決勝ゴールを挙げ、32年ぶり7度目となる悲願の欧州制覇「ラ・セプティマ」を達成。 | |||||
| 1996-97 | (29) |
IN:
OUT:
(引退)
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優勝 (1st) | - | |
| カペッロ招聘による大型補強(ミヤトビッチ、シュケル、セードルフ、R・カルロスら)が奏功。ロナウド擁するバルサとの熾烈なデッドヒートを制し、勝ち点92でリーグ優勝。ラウールも主力として定着した。 | |||||
| 1995-96 | ホルヘ・ / アルセニオ・イグレシアス | (26) |
IN:
(昇格)
OUT:
マルティン・バスケス
|
6位 | Best 8 |
| 前年度王者がまさかの低迷。バルダーノ解任、イグレシアス就任も流れは変わらずリーガ6位に終わり、翌シーズンの欧州カップ戦出場権を逃す屈辱。唯一の希望は若きラウールの孤軍奮闘だった。 | |||||
| 1994-95 | (31) |
IN:
(昇格)
OUT:
‐
|
優勝 | Best 16 | |
| バルサから「ドリームチーム」の頭脳ラウドルップを引き抜き、バルダーノが監督に就任。ベルナベウでのクラシコで5-0の大勝を収め、クライフ・バルサの支配を終わらせて5年ぶりのリーガ優勝。17歳のラウールが鮮烈デビューを果たした年でもある。 | |||||
| 1993-94 | (34) |
IN:
OUT:
‐
|
4位 | Best 8 | |
| 2年連続で最終節にテネリフェに敗れて優勝を逃すという、信じられない悪夢(第2のテネリフェの悲劇)。チームは精神的なダメージを引きずり、不安定な戦いが続いた。 | |||||
| 1992-93 | (37) |
IN:
OUT:
|
2位 | Best 8 | |
| 最終節まで首位に立ちながら、テネリフェに敗れてバルセロナに逆転優勝を許す(第1のテネリフェの悲劇)。サモラーノとブトラゲーニョの2トップは強力だったが、勝負どころでの脆さを露呈した。国王杯では優勝。 | |||||
| 1991-92 | (26) |
IN:
OUT:
|
2位 | Best 4 | |
| 好調だったアンティッチ監督を首位の状態で解任するという不可解な人事が裏目に。後半戦で失速し、最終節のテネリフェ戦で敗れて優勝を逃す最初のきっかけとなった。DFであるイエロが驚異的な得点力を発揮。 | |||||
| 1990-91 | (25) |
IN:
OUT:
M・バスケス
|
3位 | Best 8 | |
| 黄金期「キンタ・デル・ブイトレ」の終わりの始まり。スーパー杯では優勝したが、リーグではクライフ率いるバルセロナの台頭を許し、3位に沈んだ。 | |||||
| 1989-90 | (38) |
IN:
パラ
OUT:
リカルド・ガジェゴ
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優勝 | Best 16 | |
| ジョン・トシャック監督の下、超攻撃的サッカーを展開し、当時のリーグ記録となるシーズン107得点をマークしてリーガ5連覇を達成。ウーゴ・サンチェスが38ゴール全てをワンタッチで決めるという伝説を残した。キンタ・デル・ブイトレが最も輝いたシーズン。 | |||||
| 1988-89 | (36) |
IN:
OUT:
(引退)
|
優勝 | Best 4 | |
| シュスターを宿敵から獲得し、国内三冠(リーガ、国王杯、スーパー杯)を達成。欧州カップ準決勝ではACミランに対し、ホームで1-1、アウェーで0-5と惨敗し「ミラノの悲劇」を経験したが、国内では圧倒的な強さを見せつけた。 | |||||
| 1987-88 | (34) |
IN:
OUT:
(引退)
|
優勝 | Best 4 | |
| リーガ三連覇。欧州カップ準々決勝でディフェンディングチャンピオンのポルト、準決勝でバイエルンを破り決勝進出に迫ったが、準決勝でPSVに対しアウェーゴール差で惜敗。国内では他を寄せ付けない強さで「ハゲワシ」たちが躍動した。 | |||||
| 1986-87 | (43) |
IN:
パコ・ブヨ
OUT:
フアニート
|
優勝 | Best 4 | |
| プレーオフ制度が導入された特殊なシーズン(リーガ最長)。最後までバルセロナと激しく競い合ったが、最終的に勝ち点差を広げて連覇。新加入のGKブヨが守備を引き締め、ウーゴ・サンチェスが公式戦43ゴールと爆発した。 | |||||
| 1985-86 | (29) |
IN:
ラファエル・ゴルディージョ
アントニオ・
OUT:
|
優勝 | 優勝 (UEFA) | |
| ウーゴ・サンチェスをアトレティコから獲得し、最強の矛を手に入れた。リーガを圧倒的な強さで制し、UEFAカップではインテル戦(準決勝 5-1)やボルシアMG戦(3回戦 4-0)で「ベルナベウの奇跡(大逆転劇)」を連発して二連覇達成。「恐怖のキンタ・デル・ブイトレ」が欧州を震撼させた。 | |||||
| 1984-85 | / | (17) |
IN:
ホルヘ・
OUT:
‐
|
5位 | 優勝 (UEFA) |
| リーグ戦では5位と低迷したが、UEFAカップではアンデルレヒト戦(6-1)、インテル戦(3-0)と、ベルナベウでの大逆転劇を繰り返し決勝進出。ビデオトンを下し、クラブに19年ぶりの欧州タイトルをもたらした。「魔法の夜」の伝統がここから始まった。 | |||||
| 1983-84 | フアニート(21) |
IN:
(昇格)
マノロ・サンチス(昇格)
ミチェル(昇格)
OUT:
‐
|
2位 | Best 64 | |
| カディス戦でブトラゲーニョが衝撃のデビュー。後半から出場して2ゴールを挙げ、0-2から逆転勝利を収めたこの試合が「キンタ・デル・ブイトレ」伝説の幕開けとされる。リーグ優勝はアスレティック・ビルバオに勝ち点差なし(得失点差)で逃した。 | |||||
| 1982-83 | (14) |
IN:
OUT:
|
2位 | 準優勝 (CWC) | |
| レジェンド、ディ・ステファノが監督として帰還。しかし、リーガ、国王杯、リーグ杯、スーパー杯、カップウィナーズカップの5つの大会全てで準優勝に終わるという、前代未聞の「シルバーコレクター」シーズンとなった。あと一歩でタイトルを逃し続けた悲劇の年。 | |||||
| 1981-82 | / | フアニート(12) |
IN:
OUT:
ー
|
3位 | Best 8 (UEFA) |
| リーグ戦は3位。国王杯ではスポルティング・ヒホンを下し優勝。UEFAカップでも準々決勝まで進出した。フアニートの得点力とカマチョの守備が光り、キンタ・デル・ブイトレ前夜の主力たちが奮闘したシーズン。 | |||||
| 1980-81 | フアニート(19) |
IN:
OUT:
|
2位 | 準優勝 (Champions Cup) | |
| 「パリの決勝」。チャンピオンズカップで決勝に進出し、リヴァプールと対戦したが、終盤の失点で0-1と惜敗。リーガでも最終節、最後の数分でソシエダに得点を許し優勝を逃すなど、勝負強さを問われる悔しいシーズンとなった。しかし、その闘志あふれるスタイルは「マドリディスモ」の象徴となった。 | |||||
| 1979-80 | (23) |
IN:
OUT:
ー
|
優勝 | Best 4 | |
| 監督ボシュコヴの下、歴史的な「兄弟対決」を実現。国王杯決勝でトップチームとBチーム(カスティージャ)が対決し、6-1で勝利して二冠(ドブレテ)を達成。クラブ史上最も「カンテラ(育成)」の力が証明された輝かしいシーズンとなった。 | |||||
| 1978-79 | (18) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | Best 16 | |
| サンティアゴ・ベルナベウ会長が逝去した翌シーズン。モロウニー監督の下、団結したチームはリーガを連覇し、亡き会長に捧げた。 | |||||
| 1977-78 | (24) |
IN:
フアニート
OUT:
|
優勝 (1st) | - | |
| 75周年。シーズン中に伝説の会長サンティアゴ・ベルナベウが死去。悲しみを乗り越え、チームは圧倒的な強さでリーガを制覇した。シュティーリケとフアニートが加入し、新時代の核となった。 | |||||
| 1976-77 | (11) |
IN:
OUT:
(引退)
|
9位 | Best 16 | |
| クラブ史上稀に見る不振のシーズン。怪我人が続出し、チームは機能せず9位に沈んだ。欧州カップ戦出場権も逃す屈辱を味わった。 | |||||
| 1975-76 | (13) |
IN:
OUT:
(引退)
|
優勝 (1st) | Best 4 | |
| ミリャニッチ体制2年目もリーガを制覇。欧州カップでは準決勝でバイエルン・ミュンヘンと激突。アマンシオの引退シーズンでもあった。 | |||||
| 1974-75 | (17) |
IN:
OUT:
(引退)
|
優勝 (1st) | CWC Best 8 | |
| ユーゴスラビアの名将ミリャニッチが就任し、フィジカルトレーニングを改革。ブライトナーも加入し、圧倒的な強さでリーガとコパの二冠(ドブレテ)を達成した。 | |||||
| 1973-74 | / ・モロウニ | (11) |
IN:
OUT:
‐
|
8位 | UEFA Cup Best 64 |
| 14年間指揮を執ったムニョス監督がついに退任。リーグ戦ではクライフ加入のバルサにベルナベウで0-5と屈辱的敗北を喫し8位に沈んだが、国王杯決勝ではバルサに4-0でリベンジし優勝を果たした。 | |||||
| 1972-73 | (10) |
IN:
-
OUT:
(引退)
|
4位 | Best 4 | |
| リーグ4位と振るわなかったが、欧州カップでは準決勝まで進出。アヤックスの壁に阻まれた。 | |||||
| 1971-72 | (11) |
IN:
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | UEFA Cup Best 32 | |
| サンティジャーナ加入1年目。ピリらベテランと融合し、2年ぶりにリーガ王座を奪還した。ヘントの現役ラストシーズンとなった。 | |||||
| 1970-71 | (13) |
IN:
-
OUT:
‐
|
4位 | CWC 準優勝 | |
| カップウィナーズカップ決勝でチェルシーと対戦したが、再試合の末に敗れ、唯一獲得していない欧州タイトルを逃した。リーグ戦も4位に終わった。 | |||||
| 1969-70 | (16) |
IN:
OUT:
‐
|
6位 | Best 16 | |
| リーグ戦は6位と低迷したが、国内カップ戦(コパ・デル・ヘネラリシモ)決勝でバレンシアを破り優勝。アマンシオが得点王を獲得し孤軍奮闘した。 | |||||
| 1968-69 | (14) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | Best 16 | |
| 「イェーイェー・マドリー」の円熟期。開幕9連勝というロケットスタートを決め、独走でリーガ3連覇を達成。38試合でわずか1敗という圧倒的な強さだった。 | |||||
| 1967-68 | (10) |
IN:
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | Best 4 | |
| 60年代の黄金期を維持しリーガ連覇。CLでは準決勝でマンチェスター・ユナイテッドに敗れたが、国内での強さは揺るがなかった。 | |||||
| 1966-67 | (11) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | Best 8 | |
| 前年の欧州制覇の勢いそのままに、リーガ王座も奪還。ディ・ステファノの時代から完全に脱却し、アマンシオ、ピリ、グロッソら「イェーイェー・マドリー」が新たな黄金時代を築き上げた。 | |||||
| 1965-66 | (10) |
IN:
(昇格)
OUT:
(引退)
|
2位 | 優勝 (Winner) | |
| ディ・ステファノ、プスカシュらが去り、スペイン人選手だけで構成された「イェーイェー・マドリー(Ye-Ye Team)」。ヘントがキャプテンとしてチームを牽引し、ブリュッセルでの決勝でパルチザンを逆転で破り、6度目の欧州制覇を成し遂げた。ヘントは史上唯一の欧州杯6回優勝選手となった。 | |||||
| 1964-65 | (17) |
IN:
OUT:
|
優勝 (1st) | Best 8 | |
| 前人未到のリーガ5連覇(キンタ・デ・トロフェオス)を達成。若手が台頭し、チームは世代交代の時期を迎えていたが、国内での圧倒的な支配力は変わらなかった。 | |||||
| 1963-64 | (21) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | 準優勝 (Runner-up) | |
| リーガ4連覇。ディ・ステファノのラストシーズン。ウィーンでのチャンピオンズカップ決勝に進出したが、インテルに1-3で敗れ準優勝に終わった。 | |||||
| 1962-63 | (26) |
IN:
OUT:
|
優勝 (1st) | 予選敗退 | |
| リーガ3連覇。プスカシュが得点王を獲得し健在ぶりをアピール。アマンシオとソコが加入し、後の「イェーイェー・マドリー」への布石が打たれた。 | |||||
| 1961-62 | (20) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | 準優勝 (Runner-up) | |
| リーガとコパ・デル・ヘネラリシモの二冠(ドブレテ)達成。アムステルダムでのCL決勝まで進んだが、ベンフィカに3-5で敗れ、王座奪還はならなかった。 | |||||
| 1960-61 | (28) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | Best 16 | |
| CLでの連覇は5で止まった(バルセロナに敗退)が、その悔しさを晴らすかのようにリーガ新記録となる勝ち点52(当時)で圧倒的な優勝を果たした。ここからリーガ5連覇が始まる。 | |||||
| 1959-60 | (25) |
IN:
OUT:
|
2位 | 優勝 (Winner) | |
| 欧州チャンピオンズカップ5連覇というアンタッチャブル・レコードを樹立。グラスゴーのハムデン・パークで行われたフランクフルトとの決勝は、ディ・ステファノが3点、プスカシュが4点を決める圧巻のパフォーマンスで7-3と大勝。「史上最高のサッカーの試合」として語り継がれている。 | |||||
| 1958-59 | (23) |
IN:
OUT:
‐
|
2位 | 優勝 (Winner) | |
| フェレンツ・プスカシュが加入し、ディ・ステファノとの最強コンビが結成された。リーグ戦はバルサに譲ったが、欧州では無敵の強さを発揮。決勝でスタッド・ランスを再び破り、前人未到の4連覇を達成した。 | |||||
| 1957-58 | (19) |
IN:
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | 優勝 (Winner) | |
| ディ・ステファノがバロンドールを受賞。ブリュッセルでのACミランとの決勝は延長戦にもつれ込む死闘となったが、ヘントの決勝点で3-2と競り勝ち、欧州3連覇を達成。リーガとの二冠も果たした。 | |||||
| 1956-57 | (31) |
IN:
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | 優勝 (Winner) | |
| フランスの英雄レイモン・コパが加入。「ナポレオン」と呼ばれた彼のゲームメイクとディ・ステファノの得点力で、ベルナベウで行われた決勝でフィオレンティーナを下し、欧州連覇を達成。ラテン・カップも含めた三冠(トレブル)のようなシーズンだった。 | |||||
| 1955-56 | (24) |
IN:
OUT:
|
3位 | 優勝 (Winner) | |
| 記念すべき第1回欧州チャンピオンズカップ。準決勝でミランを下し、パリでの決勝ではスタッド・ランスと対戦。2度のリードを許す苦しい展開ながら、ディ・ステファノ、リアルらのゴールで4-3と逆転勝利。伝説の始まりとなった。 | |||||
| 1954-55 | (25) |
IN:
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | - | |
| ディ・ステファノに続き、名手エクトル・リアアルが加入し攻撃陣が完成。シーズン途中でビジャロンガが監督に就任すると、リーグ戦で連覇を達成。さらにラテン・カップ決勝でスタッド・ランスを破り、欧州制覇への布石を打った。 | |||||
| 1953-54 | (27) |
IN:
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | - | |
| 21年ぶりのリーガ制覇。バルセロナとの争奪戦の末に獲得したアルフレッド・ディ・ステファノが、デビューシーズンでいきなり得点王を獲得。この優勝が、後の黄金時代の幕開けとなった。 | |||||
| 1952-53 | (19) |
IN:
-
OUT:
|
3位 | - | |
| クラブ創設50周年。リーグは3位に終わったが、パヒーニョが獅子奮迅の活躍。シーズン終了後、サンティアゴ・ベルナベウ会長がコロンビアのミジョナリオスからディ・ステファノを引き抜く決断を下した歴史的転換点の年。 | |||||
| 1951-52 | (28) |
IN:
-
OUT:
‐
|
3位 | - | |
| パヒーニョが28ゴールを挙げ、自身2度目のピチーチ賞(得点王)を獲得。チームは優勝争いに絡むも3位。3月の親善試合でディ・ステファノ擁するミジョナリオスと対戦し、ベルナベウ会長がその才能に惚れ込んだ。 | |||||
| 1950-51 | / | (21) |
IN:
-
OUT:
‐
|
9位 | - |
| 3度の監督交代が行われる激動のシーズン。一時は降格の危機に瀕するほど低迷し9位でフィニッシュ。パヒーニョの21ゴールがチームを救った。 | |||||
| 1949-50 | (22) |
IN:
OUT:
‐
|
4位 | - | |
| マイケル・キーピング体制2年目。シーズン中盤までは首位を走るなど好調だったが、終盤に失速し4位。パヒーニョは安定した得点力を発揮し続けた。 | |||||
| 1948-49 | (21) |
IN:
OUT:
‐
|
3位 | - | |
| セルタから「怪物」パヒーニョとミゲル・ムニョスを獲得。就任したマイケル・キーピング監督の下、攻撃的なサッカーを展開し3位へ躍進。戦後の低迷期からの脱却を印象付けた。 | |||||
| 1947-48 | キインコセス / アルベニス / キーピング | (9) |
IN:
-
OUT:
‐
|
11位 | - |
| 新スタジアム「ヌエボ・チャマルティン」が完成した記念すべきシーズンだったが、チーム成績は低迷。クラブ史上最悪の11位に沈み、最終節まで残留を争う苦しいシーズンとなった。 | |||||
| 1946-47 | (22) |
IN:
OUT:
‐
|
7位 | - | |
| リーグ戦では苦戦したが、コパ・デル・ヘネラリシモ(現国王杯)では快進撃を見せた。決勝でエスパニョールを延長戦の末に2-0で下し、9度目のカップ戦優勝を果たした。建設中の新スタジアムへの期待が高まる中でのタイトルだった。 | |||||
| 1945-46 | ハシント・キンコセス | (30) |
IN:
-
OUT:
‐
|
4位 | - |
| ハシント・キンコセス監督の下、コパ・デル・ヘネラリシモ(現国王杯)で優勝。バレンシアとの決勝は3-1で勝利。プルデンが得点を量産し、チームの攻撃を牽引した。 | |||||
| 1944-45 | ラモン・エンシナス | サビノ・バリナガ (18) |
IN:
OUT:
‐
|
2位 | - |
| リーグ戦は接戦の末2位。サンティアゴ・ベルナベウ会長の下、スタジアム建設プロジェクトが本格化。 | |||||
| 1943-44 | ラモン・エンシナス | サビノ・バリナガ (20) |
IN:
-
OUT:
‐
|
7位 | - |
| 9月15日、サンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。クラブの歴史を変える偉大なリーダーシップの始まり。 | |||||
| 1942-43 | フアン・アルメ | マヌエル・アルダイ (16) |
IN:
-
OUT:
‐
|
10位 | - |
| コパ準決勝第2戦でバルセロナを11-1で粉砕した伝説的な試合があったシーズン。しかし決勝ではビルバオに敗れた。 | |||||
| 1941-42 | フアン・アルメ | マヌエル・アルダイ (23) |
IN:
-
OUT:
‐
|
2位 | - |
| リーグ戦ではバレンシアに次ぐ2位と健闘。アルダイが得点ランキング2位の活躍。 | |||||
| 1940-41 | フランシスコ・ブル | マヌエル・アルダイ (14) |
IN:
OUT:
‐
|
6位 | - |
| 内戦後の再建期。若手の育成とチームの再編成が進められた。 | |||||
| 1939-40 | フランシスコ・ブル | マヌエル・アルダイ (13) |
IN:
OUT:
‐
|
4位 | - |
| スペイン内戦終了後、3年ぶりにリーグが再開。多くの選手がチームを去り、ゼロからのスタートとなった。 | |||||
| 1938-39 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
中断 (Civil War) | - |
| スペイン内戦により公式戦中断。 | |||||
| 1937-38 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
中断 (Civil War) | - |
| スペイン内戦により公式戦中断。 | |||||
| 1936-37 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
中断 (Civil War) | - |
| スペイン内戦勃発により公式戦は中断。 | |||||
| 1935-36 | フランシスコ・ブル | サヌード (21) |
IN:
-
OUT:
‐
|
2位 | - |
| 内戦前最後のシーズン。バルセロナとのコパ・デル・レイ決勝(メスタージャ)に2-1で勝利し、歴史的な優勝を果たした。サモラの神がかり的なセーブが語り草。 | |||||
| 1934-35 | フランシスコ・ブル | フェルナンド・サヌード (20) |
IN:
フェルナンド・サヌード
OUT:
‐
|
2位 | - |
| リーグ戦で健闘するもベティスに及ばず2位。ホームでのバルセロナ戦で8-2という歴史的大勝を記録。 | |||||
| 1933-34 | ロバート・ファース | ルイス・レゲイロ (12) |
IN:
-
OUT:
‐
|
2位 | - |
| コパ優勝。決勝でバレンシアを2-1で下した。「サモラ、シリアコ、キンコセス」の守備陣は世界最強と謳われた。 | |||||
| 1932-33 | ロバート・ファース | マヌエル・オリバレス (15) |
IN:
-
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | - |
| リーガ連覇を達成。オリバレスが得点王(ピチーチ)を獲得。サモラを中心とした堅守が光り、18試合でわずか17失点。 | |||||
| 1931-32 | リッポ・ヘルツカ | マヌエル・オリバレス (11) |
IN:
ハシント・キンコセス
シリアコ・エラスティ
ルイス・レゲイロ
ヒラーリオ
OUT:
‐
|
優勝 (1st) | - |
| クラブ史上初のリーガ優勝。シーズン無敗(10勝8分)という歴史的快挙を成し遂げた。サモラ、シリアコ、キンコセスの加入が決定打となった。 | |||||
| 1930-31 | リッポ・ヘルツカ | ハイメ・ラスカノ (5) |
IN:
リカルド・サモラ
OUT:
ガスパール・ルビオ
|
6位 | - |
| 伝説のGKリカルド・サモラが加入。偉大なチームへの変革が始まったシーズン。 | |||||
| 1929-30 | ホセ・キランテ | ガスパール・ルビオ (19) |
IN:
-
OUT:
‐
|
5位 | - |
| ガスパール・ルビオが得点を量産し、コパ・デル・レイ決勝へ進出したが、ビルバオに延長戦の末敗れた。 | |||||
| 1928-29 | ホセ・キランテ | ガスパール・ルビオ (11) |
IN:
ガスパール・ルビオ
カボ
OUT:
‐
|
2位 | - |
| リーガ・エスパニョーラ(プリメーラ・ディビシオン)創設初年度。開幕戦でエウロパに5-0で勝利し、ハイメ・ラスカノがクラブ初ゴールを記録。最終節まで優勝を争ったが、アスレティック・ビルバオに敗れ、バルセロナに逆転を許し2位に終わった。 | |||||
| 1927-28 | ホセ・アンヘル・ベラオンド | - |
IN:
-
OUT:
(引退)
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権で優勝。コパ・デル・レイでは準決勝進出。リーガ創設に向けた準備期間。GKビダルやDFウルキスなど、後のリーガ開幕時のメンバーが揃い始めた。 | |||||
| 1926-27 | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - | |
| サンティアゴ・ベルナベウが選手を引退し、一時的に監督を務める。地域選手権優勝。チームは成熟期を迎えつつあった。 | |||||
| 1925-26 | フアン・デ・カルセル | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権優勝。コパ・デル・レイ準々決勝敗退。イングランド遠征を行い、国際経験を積む。モンハルディン、ゴンサレス、ムニャゴリらが強力な攻撃陣を形成。 | |||||
| 1924-25 | フアン・デ・カルセル | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 2位 | - |
| 地域選手権2位。この時期、「オドネルの王」モンハルディンがエースとして君臨。新スタジアム「チャマルティン」がオープンし、新しい時代の幕開けとなった。 | |||||
| 1923-24 | フアン・デ・カルセル | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権全勝優勝。コパ・デル・レイ決勝へ進んだが、レアル・ウニオンに敗れた。「チャマルティン」スタジアムの建設が計画される。ケサダとエスコバルのDFコンビが確立。 | |||||
| 1922-23 | フアン・デ・カルセル | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権優勝。コパ・デル・レイ準々決勝敗退。中盤の構成力が向上し、モンハルディンとベルナベウの2トップが猛威を振るった。 | |||||
| 1921-22 | フアン・デ・カルセル | - |
IN:
フアン・モンハルディン
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権優勝。「レアル・マドリード」として定着し始めた時期。エスコバルやマンサネドを中心とした守備陣が安定。 | |||||
| 1920-21 | フアン・デ・カルセル | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 3位 | - |
| 1920年6月29日、国王アルフォンソ13世より「レアル(王室)」の称号を授与され、クラブ名が「レアル・マドリード」となる。FWモンハルディンがエースとして君臨し始めた。 | |||||
| 1919-20 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| アーサー・ジョンソン体制最終年。地域選手権で優勝を果たし、10年以上に及ぶ長期政権を有終の美で飾った。GKエルナンデス・コロナドやFWゴンサレスらが活躍。 | |||||
| 1918-19 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 2位 | - |
| 地域選手権2位。コパ・デル・レイには出場できず。しかし、GKエルナンデス・コロナドやDFマンサネドといった、後の主力となる選手たちが台頭し始めた。 | |||||
| 1917-18 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権優勝。コパ・デル・レイ決勝でレアル・ウニオンに0-2で敗れ準優勝。ベルナベウはこのシーズンも主力として活躍。 | |||||
| 1916-17 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
レネ・プティ
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| コパ・デル・レイ優勝(5回目)。決勝でアレナス・ゲチョを2-1で下す。フランスの天才レネ・プティがMFとして君臨し、S・アラングレンらと共にチームを牽引した。 | |||||
| 1915-16 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| コパ・デル・レイ準優勝。準決勝でバルセロナと4度の再試合を戦う激闘の末に勝利したが、決勝では疲労もありビルバオに0-4で敗れた。プティやベルナベウが得点源。 | |||||
| 1914-15 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 3位 | - |
| 地域選手権3位。チーム再建期。 | |||||
| 1913-14 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
フアン・デ・カルセル
マルセロ・ベルナベウ
OUT:
‐
|
地域選手権 3位 | - |
| 地域選手権3位。サンティアゴ・ベルナベウが絶対的なエースとして君臨し始める一方、兄のマルセロ・ベルナベウも守備の要として定着。兄弟での活躍が光ったシーズン。 | |||||
| 1912-13 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
フアン・デ・カルセル
マルセロ・ベルナベウ
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| オドネル競技場(O'Donnell)に移転し、本格的なフェンス付きスタジアムを持つクラブとなる。地域選手権優勝。フアン・デ・カルセルが正GKとして台頭。 | |||||
| 1911-12 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
OUT:
‐
|
地域選手権 | - |
| 17歳のサンティアゴ・ベルナベウがトップチームデビュー。彼は後に選手、監督、そして伝説的な会長としてクラブに全てを捧げる存在となる。チームはオドネル競技場への移転を控え、新たな時代の到来を予感させた。 | |||||
| 1910-11 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 | - |
| アーサー・ジョンソン監督の下、チーム戦術の浸透が進む。この年、ソテロ・アラングレンとアルベルト・マチベンバという二人の象徴的な選手が中盤を支配し、後の黄金期への架け橋となった。 | |||||
| 1909-10 | アーサー・ジョンソン | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 3位 | - |
| アーサー・ジョンソンがクラブ初の正式な監督に就任。彼は選手時代の経験を活かし、ポジションごとの役割を明確にするなど戦術的な革新をもたらした。オドネル通りへのスタジアム移転計画も進行。 | |||||
| 1908-09 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 3位 | - |
| コパ・デル・レイ4連覇の後、Adolfo Meléndezが会長に就任。スペインサッカー連盟(RFEF)の設立に向けて主導的な役割を果たした。 | |||||
| 1907-08 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| コパ・デル・レイ4連覇という前人未踏の記録を樹立。決勝でビーゴSCを2-1で下し、「不滅のマドリー」としての名声を不動のものにした。この黄金期は、初期のマドリードFCにおける最初の全盛期として記憶されている。 | |||||
| 1906-07 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| コパ・デル・レイ3連覇の偉業を達成。ビスカヤとの決勝は再試合までもつれる死闘となったが、マヌエル・プラストの決勝点で1-0勝利をもぎ取った。この3連覇により、クラブは優勝カップの永久保持を認められるという栄誉を手にした。 | |||||
| 1905-06 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| コパ・デル・レイ連覇を達成。決勝ではアスレティック・ビルバオに4-1で快勝し、前年の勝利がフロックでないことを証明した。マヌエル・プラストとペドロ・パラヘスがそれぞれ2得点を挙げる活躍を見せ、攻撃的なサッカーで観衆を魅了した。 | |||||
| 1904-05 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| クラブ史上初の公式タイトル、コパ・デル・レイ優勝を果たす記念すべきシーズン。決勝でアスレティック・ビルバオを1-0で下し、マヌエル・プラストが歴史的な決勝ゴールを決めた。この勝利により、マドリードFCはスペイン最強のクラブとしての名声を確立し、その後の「黄金の4年間」の幕開けとなった。 | |||||
| 1903-04 | - | - |
IN:
-
OUT:
‐
|
地域選手権 優勝 | - |
| 地域選手権優勝。コパ・デル・レイ決勝へ進出したが、対戦相手の棄権や組織上の混乱などにより試合が行われないまま終了するという異例の事態となった。この年、マドリードFCはFIFA(国際サッカー連盟)の創設に関与し、スペインを代表するクラブとしての国際的地位を確立し始めた。キャプテンのフアン・パドロスを中心とした結束力が、初期のクラブを支えた。 | |||||
| 1902-03 | - | - |
IN:
アーサー・ジョンソン
フアン・パドロス
OUT:
‐
|
- | - |
| 1902年3月6日、マドリード・フットボール・クラブ創設。アルフォンソ13世の戴冠式記念大会「コパ・デ・ラ・コロナシオン」で準決勝に進出し、FCバルセロナと史上初の対戦を行う(1-3敗北)。3位決定戦でエスパニョールに勝利し、クラブ初のトロフィーを獲得。アーサー・ジョンソンやパドロス兄弟に加え、マリオ、アルマンド、ホセのヒラル3兄弟も主力として創設期のチームを支えた。 | |||||
※ 1902-03シーズン(クラブ創設)以降の全記録を掲載
マドリードFC創設
3月6日、フリアン・パラシオスを中心としたグループにより「マドリード・フットボール・クラブ」が正式に設立。そのわずか3日後には初の試合が行われ、世界最強クラブの歴史が幕を開けました。
初のタイトル獲得
コパ・デル・レイ(スペイン国王杯)決勝でアスレティック・ビルバオを撃破し、クラブ史上初の公式タイトルを獲得しました。
「レアル(王室)」の称号
国王アルフォンソ13世より「レアル(王室)」の称号を授与され、クラブ名は「レアル・マドリード」となりました。この時、エンブレムに王冠が加えられました。
リーガ・エスパニョーラ初優勝
伝説のゴールキーパー、リカルド・サモラらを擁し、無敗で初のリーグ優勝を達成。スペイン国内での支配力を示し始めました。
聖地サンティアゴ・ベルナベウ完成
12月14日、新しいスタジアム「ヌエボ・チャマルティン」がオープン。後にクラブの父、サンティアゴ・ベルナベウ会長の名を冠することになるこのスタジアムは、クラブの巨大化の礎となりました。
初代欧州王者
新設されたチャンピオンズカップ(現CL)の第1回大会決勝でスタッド・ランスと対戦。4-3の激闘を制し、記念すべき初代王者に輝きました。
伝説の5連覇達成
グラスゴーで行われた決勝でフランクフルトを7-3で粉砕。プスカシュが4点、ディ・ステファノが3点を挙げる伝説的な試合で、前人未到の欧州5連覇を達成しました。
"Ye-yé" チームの栄冠
パコ・ヘント率いる、スペイン人選手のみで構成されたチームが6度目の欧州制覇。ヘントは個人として史上最多6回目の優勝を果たしました。
「キンタ・デル・ブイトレ」の時代
エミリオ・ブトラゲーニョらカスティージャ出身の5人組が中心となり、この年からリーグ5連覇(-1990)という黄金時代を築き上げました。
32年ぶりの悲願「ラ・セプティマ」
アムステルダム・アレナでの決勝でユヴェントスと対戦。ミヤトヴィッチのゴールを守りきり、32年ぶり7度目のビッグイヤー(ラ・セプティマ)を獲得しました。
銀河系軍団の幕開け
フロレンティーノ・ペレス会長が就任し、を獲得。「年に一人スターを獲得する」政策が始まり、後に、、らが続く「銀河系軍団」が形成されました。同年、8度目のCL優勝。
ジダン、「天に描く放物線」
クラブ創設100周年。レバークーゼンとのCL決勝で、ジダンがサッカー史に残るボレーシュートを決め、9度目の欧州制覇(ラ・ノベナ)を達成しました。
勝ち点100、121得点の記録的優勝
ジョゼ・モウリーニョ監督の下、圧倒的な攻撃力でラ・リーガを制覇。勝ち点100、総得点121という驚異的な記録を打ち立て、「歴代最強のリーガ王者」と呼ばれました。
執念の「ラ・デシマ(10冠)」
リスボンでのCL決勝。後半アディショナルタイム92分48秒、S・ラモスの伝説的なヘディングで同点に追いつき、延長戦でアトレティコを撃破。12年の時を経て悲願の10冠目を達成しました。
アンディスプタブル(絶対王者)
ジダン監督就任1年目でCL優勝(ウンデシマ)。ここから2017年(ドゥオデシマ)、2018年(デシモテルセーラ)と優勝を重ね、前人未到のCL3連覇という偉業を成し遂げました。
奇跡の逆転劇と14冠目
PSG、チェルシー、マンチェスター・シティに対し、ベルナベウで信じられないような逆転劇を連発。決勝ではリヴァプールを破り、最もドラマチックな形で14度目の欧州制覇を果たしました。
不滅の15冠(ラ・デシモキンタ)
ウェンブリーでの決勝でドルトムントを下し、通算15回目のビッグイヤーを獲得。ベリンガム、ヴィニシウスら新世代の台頭と共に、欧州の王者が誰であるかを世界に示しました。
シャビ・アロンソ
キリアン・エムバペ
T・アレクサンダー=アーノルド
A・カレーラス
フランコ・マスタントゥオーノ
D・ハイセン
ルカ・モドリッチ
カルロ・アンチェロッティ
エンドリッキ
トニ・クロース
ナチョ
ホセル
ジュード・ベリンガム
アルダ・ギュレル
ケパ・アリサバラガ
フラン・ガルシア
カリム・ベンゼマ
マルコ・アセンシオ
エデン・アザール
マリアーノ・ディアス
オーレリアン・チュアメニ
アントニオ・リュディガー
カゼミーロ
マルセロ
ガレス・ベイル
イスコ
ルカ・ヨビッチ
エドゥアルド・カマヴィンガ
ダビド・アラバ
セルヒオ・ラモス
ラファエル・ヴァラン
マルティン・ウーデゴール
ジネディーヌ・ジダン(監督)
アクラフ・ハキミ
セルヒオ・レギロン
ハメス・ロドリゲス
エデル・ミリトン
フェルランド・メンディ
ロドリゴ
ケイラー・ナバス
マテオ・コバチッチ
マルコス・ジョレンテ
ジュレン・ロペテギ
サンティアゴ・ソラーリ
ヴィニシウス・ジュニオール
ティボー・クルトワ
アルバロ・オドリオソラ
フェデリコ・バルベルデ
クリスティアーノ・ロナウド
テオ・エルナンデス
ダニ・セバージョス
アルバロ・モラタ
ペペ
ダニーロ
アルベロア
ラファエル・ベニテス
ルーカス・バスケス
イケル・カシージャス
サミ・ケディラ
アシエル・イジャラメンディ
チチャリート
アンヘル・ディ・マリア
ダニ・カルバハル
メスト・エジル
ゴンサロ・イグアイン
カカ
カジェホン
ジョゼ・モウリーニョ
ディエゴ・ロペス
ラサナ・ディアラ
フェルナンド・ガゴ
ファビオ・コエントラン
ヌリ・シャヒン
リカルド・カルヴァーリョ
ラウール・ゴンサレス
グティ
ファン・デル・ファールト
アリエン・ロッベン
ウェズレイ・スナイデル
ファビオ・カンナバーロ
ルート・ファン・ニステルローイ
ベルント・シュスター
フアンデ・ラモス
ロビーニョ
ベッカム
R・カルロス
ジネディーヌ・ジダン
ロナウド
フィーゴ
オーウェン
サムエル
カンビアッソ
マケレレ
フェルナンド・イエロ
モリエンテス
マクマナマン
ビセンテ・デル・ボスケ
サビオ
レドンド
アネルカ
ミチェル・サルガド
エルゲラ
セードルフ
プレドラグ・ミヤトビッチ
サモラーノ
ブトラゲーニョ
ハジ
ウーゴ・サンチェス
アルフレッド・ディ・ステファノ
ヘント
プスカシュ
サンティアゴ・ベルナベウ